海外からのお客様、平和を祈り座禅を体験
当館にご宿泊されたロシアからのお客様。とても美しい母娘のお二人です(^^)
座禅にご興味を持たれており、体験をご所望されておりました。
そこで、通常は土曜・日曜しか座禅会を開いていない所を、恵倫寺のご住職に海外から来て頂いたという事で特別に朝、座禅体験をさせて頂ける機会を設けて頂きました。
著者の私は、運転手とお客様の座禅を組んでる所を撮影カメラマン、そしてご住職の説明の通訳(ただしGoogle翻訳を用いてです(^^))という役割なので、自分はやらなくていいと辞退したのですが、どうにもやらないわけにはいかない雰囲気に・・・。実は私もお寺でちゃんとした座禅をやるのは、生まれて初めてでした。
「何も考えようとはせず ただ座ること それは偉大なり」
「何も考えまいとしても 必ずあれこれ浮かんでくる それで良い」
「右手を下にして輪を作る 組んだ手は全宇宙を表す」
確かに、完全に心を「無」にはできませんでしたが、穏やかに、そしてスッキリしました。25分間、皆黙って座り続け、そして不慣れな足は痺れました(汗)
今回はビギナー向けの座禅ですので、25分座るだけでした。これが慣れてくると時間が伸び、よく動画で見かける、肩をペシっと叩かれる事もあるのでしょう。
人間の脳は、必ずそうされた理由、合理性を求めるように構造が出来ているそうです。
つまり、座禅を組んで肩を叩かれると、ご住職に頭を下げはするものの、頭の中では「あれ?なんで今叩かれたのだろう?動いたつもりはないけど僅かに動いたからかな?」と、その叩かれた理由を脳内で検索し出すとの事。
それがあまりにも長い時間、ペシペシ叩かれ続けている内に、脳内で起きる叩かれた理由探しは
「先日、仕事でどうしようもない凡ミスをしたからかな?」
「あの時、妻や子供を、大人気ない叱り方で叱ってしまったからかな?」
「学生の頃、友達をあんな言葉で傷つけてしまったからかな?」
と、どんどん過去へ遡るようです。
まさに自分との向き合いで、脳科学的にも合理性ある懺悔ですね。
155年前、日本も東西に分かれ、同じ日本民族同士で血を流し合う内戦をしており、その市街戦戦場となっていた会津若松。
そしてまさに今、同様に同じスラブ民族同士で血を流し合う戦争が続いているロシアとウクライナ。それはソ連時代を日本に置き換えると、東京都大阪で戦争をしているようなものですからね。
この会津の地で座禅を体験された事に、お二人にとって大切な意味があったと信じています(^^)
禅の悟りと、世界平和への祈りを込めて。